ハートも、万華鏡。

ふわふわの中身がふわふわとでも?

離婚はしないほうがいいなんて、そんなん知ってます。

 

「離婚の何がそんなに悪いんだろう。そもそも、離婚って悪いことなのだろうか?」

 

って、中学生の頃から思っていた。

離婚って、幸せになりたいから、現在の悲劇から逃れたいからすることだと思っていた。『人生のリスタート』のための選択肢の一つ。

 

私のお母さんは離婚暦も再婚暦もある。けど、私は、お母さんのそれらの選択が悪いことだなんて思ってない。

むしろ、よう頑張って生きてくれたんだ、がむしゃらに私を育ててくれているんだ、と思っている。

 

だって、『選択して決断する』ということは、難しくて疲れることだから。

 

「結婚は勢い」という言葉の通り、ウキウキ気分で、この人との未来しかない!と結婚する人もいると思う。現にお母さんもその一人。盲目だったとのことだ。

ある種の自身の感性というか、勘を信じて飛び込み、実際に大当たりだったー!という人もいると思う、超羨ましい。

 

でも、あれ、なんか違う。と思ったとき。

きっと2パターンの選択肢が目の前に現れる。

 

「我慢する」か、「別れるか」

 

我慢することは、自分の感情を押し殺すこと。何を言われても何をされても気にしないようにする、はたまた、存在をないことにすること。

別れることは、別々の人生を歩むということ。パートナーではなくなるということ。

 

 

お父さんと様々なトラブルが起きて、自律神経失調症になり、入院したとき。

お母さんはこう思ったらしい。

「私、このままだと、ダメだ。子供を幸せにすることも、できなくなる。」

 

そして、多くの苦労と時間をかけて、離婚した。

重い足かせをとって、社会の荒波にダイブしたのだ。

 

遠戚の人達はお母さんの現状を知らずに毒を吐く。

 

「結婚生活なんて、我慢がつきものなのに。」

「簡単に離婚なんてしちゃって。」

 

お母さんは「簡単に」離婚をしたのだろうか。

 

『選択して決断する』ということは、難しくて疲れる。

 

たかだか学生ごとき(とは、思ってはないけれど)の恋愛でもそうだ。

 

相手と付き合っていても幸せではないかもしれない。

縛られるし、どちらかというと不幸。別れたい。

 

でも、別れ話をするほどの精神力もない、それはそれで疲れる。

 

そんな感情を抱く人は少なくないと思う、私も含めて。

 

だらだらと不幸せを続けるか、辛い時間を超えて別れるか。

振ったのにもかかわらず、別れてからもなんだか辛い。振られた方はもっと辛い。

 

別れるには、多大な労力を使う。振る方も振られる方も、精神が疲れる。

離婚ならより一層。子供がいるならより一層。

 

お母さんは「簡単に」離婚したわけじゃない。

このままの生活を続けたときの自分の人生、子供の人生。

別れを選択した後の自分の人生、子供の人生。

きっと、何回も何回もイメージして悩んだのだと思う。

 

我慢する人も、大変。

自分の感情を押し殺していくうちに、押し殺すはずの感情もなくなる。無になっていく。自分が立っている場所もわからなくなる。

 

どっちも辛くて、どっちも大変。

だからこそ、どちらも対立することではないんだ。

 

結婚は幸せになりたくてするものだったり、ある人の願望を叶えるためにするものだったり、せざるおえなかったり、様々なものだけど。

離婚も同じことだと思う。

パートナーと別れたほうが幸せになれる場合だったり。もちろん、一方的に別れを告げられることもあると思う、悲しいことに。

でも、それらは全部人生の立て直しのようなものなのではないかと思う。

 

 

だからこそ、「離婚は悪いことではない」と思う。

 

けど。もし私ではない子供の話だったら。

両親仲が悪いのって、辛い。

親も親で親自身の人生があるんだって話、きっと難しい。

離婚後も両親は自分に対して優しい場合、なんで一緒には住めないのって疑問になる。

 

でもきっとそのうち気づく(こともある)。

別れる瞬間の親にとっては、「別れる」という選択が必要だったということに。

 

離婚はしないほうがいいなんてそんなの知ってる。

でも、しないと幸せになれないと思うときだってある。

 

「別れる」ことは必ずしも悪ではないんだって、私は思い続けている。

 

ふと思う話。

 

更新するのが久しぶりどころじゃなくて笑っている。

私が仮にモノ書きだったとしたら不誠実という名の指標を完全に振り切っているレベルだ。「モノ書いてないじゃん」つって。

忙しさにかまけて書き起こすことをめんどくさかったんだけど。

別に誰も見てないけどでも適当な文は出したくないな、とかいう変なプライド。

頭の中でわーわー喋り倒して終わる毎日。言語化して整理整頓は後回し。

捨てちゃえ、そんなの。

 

と思って今本当心の底から徒然なるままに書いてる。

現在の私のタイピングは留まることを知らないよ。

 

それはさておき、これからちゃんとしたものを「書き続ける努力」をすることを、自分に課していこうと思っている。将来のために。

さすがにね。まだ若いとかいってられないから。社会の波に置いてかれてしまいそう。就活とかそんなありきたりのものじゃない、きっと私しか感じない焦りの波。

 

「焦らないようにすること」と、「自分の非力から逃げること」は全くもって違うので、がむしゃらに頑張って行きます。

 

誰も見てないからこそ、現在の私の私による将来の私のための宣言。

 

お母さんは、お父さんと離婚する時、幼かった私を見て、何か決意したのかな。

どんな覚悟を決めたんだろう。

 

無駄にできない人生だな。

 

 

 

『絶対』って。

 

言うまでもなく、今からこれまでにないレベルでなかなか自己満足な話をする。

 

『絶対に俺はこの試合に勝つんだ』

『頑張れば絶対に叶うよ』

『これからも一緒だよ、絶対ね』

 

『絶対』という言葉の意味を、一体全体どのくらいの人が本気で信じているのかは分からないけど、私はあまり好きな言葉ではない。

 

勉強や部活や仕事とか、何か目標に向かって頑張る時に使う『絶対』は、言霊という意を含んでいると思っている。上記の1、2番目の文がその例だ。頑張らなければいけない場面で、叶えたい、頑張るという意思を言語化することで、そして、言霊を信じることで、目標を達成させる。いわば、言語化することに意味がある『絶対』だ。

そういった場合に用いられる『絶対』は私も使う時はあるし、言霊というのは今も昔も実際にあるのだ、と私自身、信じている。

 

ただ、私がどうしても耐え難く許せない『絶対』は3番目の文だ。

これは、家族愛の話でも、動物の話でもなく、紛れもない恋愛話における『絶対』である。

よく、「絶対別れない♡」「絶対結婚する♡」等の言葉をわりかし簡単に外部へ吐き出すhappy peopleがどの年代にもいるような気がするが、その言葉を聞く度に、私はその真意が気になるのである。

恋人と付き合って1ヶ月~半年ぐらいの幸せ絶頂期な時に、すぐそういった発言をする人達の中には、本当に結婚して幸せな家庭を築く人達や、本当にずっと一緒に人生を歩む人達もいるであろう。

しかし、私の周りは大体別れている。しかも結構な短い期間で、だ。

 

そんな時、私の頭には、「彼らは本当に、絶対、という言葉を信じていたのか。」といった疑問が湧いてくる。

 

本当に絶対結婚しよう、という気持ちで日々生活していたのかなぁ、とか。どうしても考えてしまう。

 

お察しの通り、私は恋愛における『絶対』なんて、存在しないに等しいという考えを持っている。

ちなみに、過去にすごく残酷なフラれ方をして、とか、そういうトラウマは持ち合わせてはいない。でも、ただ単純に、絶対なんてなくないか、と思う。

だって、人の心なんてなかなか保証できるものじゃないもん。

いつ自分に、そして相手に、他の運命の人が出てくるか分からない。運命の人なんて、自分が運命の人だと思えば、その人が運命の人なんだと思う。でも、それは死ぬまで分からないことなんじゃないかな。仮に結婚した後に、出てきちゃうことだってあるのかもしれないし。目の前で自分しか見ていない彼が、いつ浮気するかだって、誰も分からない未知なものだし、もしかしたらもう、しているのかもしれないし。

未来のことなんて当たり前に誰も知らないし、心なんて移りゆくものなんだと思っていた方がごく自然で楽な考えだと思う。

だからこそ、恋愛において『絶対』とか『ずっと』を軽々しく使う人は苦手である。軽々しく使った訳ではないのかもしれないが、どうしても近寄り難く思える。

これって、こじらせているのだろうか。

ちなみに体験談として、私にはつきあっていた当時に『絶対』を多用する元カレくんがいたが、「絶対俺から離れることはない」だの言われる度にすごく複雑な気持ちになったのを覚えている。絶対とかわざわざつけなくていいのに、そういうことは言葉でいちいち言わなくていいから何事もなく隣にいてくれたらそれでいいんだけどなぁ、とか思っていたものである。別れを切り出したのが私だったため、たしかに言われてみれば絶対だったのかなとは思うが、そもそもそんなことを言う人は苦手である。

 

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きっと、私は、言葉の一つ一つに意味の重みを置きすぎているのだと思う。

というかそういう言葉を信じていたいのであろう。

当の本人達は、フィーリングで使っているのだろう、自分たちの言葉にあまり意味を持たせることなく。そういった価値観の違いで、恋愛は時に事件を呼ぶのかなぁ、としみじみ思うのである。

 

言葉の一つ一つを大事にする人になりたいなぁ。

 

読書の秋は「甘え」

 

ありきたりなことを言うが、本屋さんの雰囲気って暖かい。
何をいまさらって感じだけど、本屋さんは誰に対しても優しい。
 
知的な美男美女にしか似合いませんよこの本は!みたいはオーラを出すこともないし、漫画ばっか読んでないで新書読みなさいよ新書!!とか説教くさいこともしないし、子供向けだけど大人もこの絵本読んでみなよ~!って教えてくれるコーナーもあるし。こういうことを言うと、どうしたの?人間界にお友達いないの?とか思われるかもしれないが、決してそういうことではない。とにかく、誰でも自分が好きな本を自分が好きなだけ探すことが出来るところが本当に好きだ。
だからまあ、もちろん図書館も大好きなんだけどね。高校受験の時は、図書館の妖精になるぞ!と馬鹿なことを割と本気で考えては地元の図書館に通いつめてました、はい。家では夜中以外は勉強できない系女子である。
図書館と本屋さんの何が違うかは語彙力不足の私が説明するのは難しいが、そんな私が例えるのならば、本屋さんは都内のクオリティが高いコスプレショップ、図書館はエンターテインメント性が高いゲームセンターのプリクラコーナーのようなものだ。
コスプレショップだと値段もかかるし、なかなか手を出しづらい。でもクオリティはめちゃめちゃ高く可愛い、買ったらもうそのコスチュームは私のもの。いつでもどこでも何回でも着ることができる。一方で、エンターテインメント性が高いゲームセンターのプリクラコーナーには、コスプレコーナーが設置されていて、いろんな種類のコスチュームが並べられている。ナース、メイド服、ポリス、セーラー服は当たり前、中には悪魔や天使やアニメもの、セーラームーンっぽいのも揃っている。よりどりみどりな宝箱だ。多少の汚れはあるが1着100円で借りれるためとても安い金額で何着も着ることが出来るのだ。ただ、プリクラをとることしか出来ないが。
ちなみに私は高校生の時に1通りのコスプリは経験している。サンタさんのコスチュームも持っている。そして、チョッパーの着ぐるみでボーリングをしたこともある。
以上を本屋さん、図書館に当てはめてみるとどうだろう、とても似ているではないか。
本屋さんは自分の子供を探しに行くようなものだ、何回も読みたいと思える1冊に出会うためにたくさん吟味する。いつどこで読んでもよい。そして、図書館は期限は限られてはいるが、幅広い分野の本が読み放題。間を取ったのがブックオフだ。最高。
どちらも最高であることには変わりない。しかし、図書館は飲食が禁止されている場所がほとんどである。よって、油断して長居すると静寂な中で私のお腹がソロライブを開催してしまうことが多々あるのが唯一の懸念点である。ガムとかで静かに乗り越えようとするんだけどね。
 
とにかく、博学になりたい系女子である。
まさに読書の秋であるが、ただ秋になってアホみたいに本を読むのではなくて常に本を読んでいるような人間になりたい。そう、読書の秋は私にとって「甘え」である。読みたい本はたくさんあるが、時間を言い訳にしてる場合ではない。うかうかしているとすぐ教養もなく発想力にも欠けた面白みのない人間になってしまう(追い込み)
 
よーし、もっと本読むぞー。
ちなみに絵本も好きである。かわいいよね。
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のら猫さんや 僕と代わらないかい?

 

私は音楽の波に乗るのが遅い、というか人とズレている、多分。

 

例えば、中学生のRADWIMPS現象。

例えば、中学生のBUMP OF CHICKEN現象。

まーーあ、聞かなかったよね。

らっど?ばんぷ?知らんわそんなん。って感じであった。

高校生になってからさりげに聞いてみると、いいなと思う曲が結構できたりはしたけども。

ちなみに「らっど ばんぷ 中学」でGoogle先生に問いかけてみるとすごく出てくる。

なんでみんな中学生になると好きになるんですか?みたいな知恵袋とか出てくる。

実際、社会現象になり得るんじゃないか。よく分からないけどそのうち心理学や統計学社会学等の範囲に足を踏み入れ始めるんじゃないの?「RADWIMPS現象、BUMP OF CHICKEN現象から読み解く、中高生の心理〜集団心理と抱える闇〜」とかなくはなくない?(※抱える闇とかすごく適当に言ったから批判ではない)とにかく、単に厨二病だからですよ、とかの一言で片付けるにはもったいなくない?

ついでに西野カナとかaikoもできるよねー。ってか癖があるアーティストみんなできるな、これ。「西野カナを聞きまくる女子、aikoを聞きまくる女子の恋愛スタイルにおける違い〜日本版テイラースウィフトから学ぶモテ術〜」とか考え始めたらキリがないな、何これ楽しすぎ。

そんなことどうでもいいやんwwwとか思われてしまうようなことをバカ真面目に考えるような人間になりたい。そういうの面白くない?考える葦じゃない?(ごめんパスカル氏)

兎にも角にも、相変わらず同世代の音楽の波に乗るのは遅いような気がしている。

今更ながらにボカロを聞いたりしている、作業用4時間の動画とか。ハマっている。

逆にマニアックなのも聞いたりしている。サブカルインディーズバンドとか。サブカルアピールじゃないよー、一番好きなのはaiko阿部真央椎名林檎だよー、クリープハイプやゲスも聞くよー。

 

というかそんなことを言いたかったのではなくて。

最近人間関係をはじめ、普通に生活をするのだけでも疲れているため、癒しを音楽に求めているような気がする。前回の記事でもそうだが、心の代弁をしてもらっているような感覚になる。

そんな私がたまたま見つけてリピートしまくりなボカロ曲はそう、「めんどくさいや」である。曲名からして心の代弁をしすぎ。

イントロがポップなのが心地よい。ガチャガチャしている幾何学的な音もなんだか心地よい。なによりちょっぴり寂しそうな歌詞が好きだ。夜遅くに聞きながら駅から家まで歩いていると泣きそうになる。

 

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一部抜粋をして以下に記載する。

嗚呼 めんどくさいなあ 汗が滲んだ シャツはキライだ
嗚呼 見たくもないなあ 正直そんな やる気もないや
嗚呼 夏はキライだ 秋もキライだ 冬もキライだ
嗚呼 こないだ会った のら猫さんや 僕と代わらないかい?

もう 海越えてみたって どこにも逃げられないのでしょう
妄想と理想は違うんでしょう…でしょ?

嗚呼 めんどくさいなあ でもほんとはさ 後ろめたいなあ
嗚呼 逃げちゃいたいなあ ギターを持って かき鳴らしたいなあ
嗚呼 夏はキライだ 秋もキライだ 冬もキライだ
嗚呼 時々そんな 気持ちになった 気持ちになっちゃったんだ

 

歌詞の意味と今の自分がどことなく重なっていることに気付いてしまう時がある。

汗がにじんだシャツがかつて自分の物であったからこそ込み上げてしまう嫌悪感。なんだか全部が嫌いになってしまう脱力感。普通に生活するだけでも拘束されているような閉塞感。

 前はこんなこと思ってなかったのに今はそればかりが身体中を駆け巡り、渦巻いていく。望んではいないのに、そんな気持ちに「なっちゃったんだ」

爽やかなメロディーが今の私にはチクリと刺さるがリピートするくらいには好きだ。

いつになったら解放してあげられるかな。9ヶ月後かな。それまで耐えられるかな。こんな日々を過ごすなら、本当に代わってほしいよ、のら猫さん。なんてね。

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呼吸すること。

 

最近、息苦しいことが多い。

特に、人間関係。

というよりも、人間関係以外のことで息苦しいと思うことはなかなかない。きっと水の中、煙の中くらいだ。

 

私は、人間関係において、今までの人生で特に大きな事件を起こすことなく過ごしてきた自信がある。

それはどうしてか。その答えはただ一つで、至極簡単なこと。

環境に恵まれていたからである。それ以外は考えられない。周りにいてくれた人たちがとにかく優しくて、人として「できる」人たちだったのだ。

その人たちと私の人間性が、周波が、合っていたのだろう。だからこそ、誰かと必要以上に争うことはなかった。もっというと、人に耐え難いほどの嫌悪感を出された記憶すらない。鈍感なのかと疑うこともあるが、私は基本的に人の目を気にするネガティヴめんどくさい系女子であり、気にしーの極みなのである。多少の妬み嫉み、嫌悪感、あいつウザくない?等思われていたのかもしれないが、それ以上に素敵な人たちに囲まれていたからこそ、気にしなかったのだと思う。我ながらただのハピネスピーポーだな、本当に。

 

しかし、今は違うらしい。

どう頑張っても、うまくいかない人が1人いる。

 

最近初めて知ったが、特定の人物において、「その人が何をしてもウザイという感情しか湧かない」ような脳のつくりの人間がいるらしい。自分に話しかけてくることはもちろん、自分に一切関係の無い行動だったとしても、すべて「ウザイ」のである。

また、そういった脳のつくりの人たちの中でも、その領域まで達するのに大した理由は要らない人も存在するらしい。

 

つまり、まとめるとこういうことになる。

なにか想像を絶するような酷い仕打ちをされて、特定の人を完全拒否する人がいるとしよう。そういった人は生きているうちに1.2人は出来てしまうこともあるかもしれない。

ただ、上記の人物は、特定の人物に対して別に重大な理由はないけど「ただなんとなくすべてがウザイ」という感情を抱いてしまうということだ。

 

私はその「ウザイ人」の1人になっているらしい。なんてこった。

 理由は分からない、些細なことだと思う。話せばすぐ分かりあえて流せることだと思う。でも、どうやら無理らしい。会う度、憎悪に満ちた視線が注がれる。ビーム放ちすぎだろ、と毎回思う。むしろそこまで毎回ビーム放出を行うなんて、元気だと思う。

最近は、揚げ足取りに対する熱意が半端ではない。いつ失敗するか、失敗したらどんな小さいことでも責めてやろう、という熱心な姿勢がひしひしと伺えるのだ。

 

私の日常をそんなストレスまみれにしてくださる人に出会ってしまったのだけれども、対処法を見つけた。

 

①自分の行いで悪いところがあったらすぐに謝ること。

感情的には、なんでこんな非情なやつに謝らないといけないんだ、と思ってしまうかもしれないが、悪いところは悪い。嫌味を言われるかもしれないが、周りに悪口を言うかもしれないが、それは謝るしかないのである。

すぐに謝り誠意を見せる相手に対して、ひたすら悪口を言う人間なんて、たかが知れている。

②憎悪ビームは気づかないふり、相手の労力に陰ながら拍手する。

どうしてこんなに人の悪口を言えるんだろう、全員分の悪口を言わないと気が済まないのかな、悪口を言わないと生きていけないのかな、こんな人は周りにいないだろうか。確実にいるであろう。しかし、いちいち気に止むことはない。むしろ、褒め称えるくらいの精神でいなければこちらの心がやられてしまう。

めっっっちゃ悪口言うやん、この人。すごいなぁ、疲れないのかなー?きっと悪口言ってる時間、1日だったら24時間中3時間とか?いや、もっとかな?いやー、すごいなー。まあ、私だったらもっと楽しいことや勉強でもするけどね。

このくらいの気持ちでいいのだ。ただ、外に出してはいけない。あくまでも心の中でとどめておこう。

 

そして何より、気の持ちようである。

『同じ土俵には上がるまい。』

私はこの言葉を胸に乗り越えるしかないと思っている。

だって嫌じゃん、まわりからどんぐりの背比べだよね、とか言われたら。

どうしようもない相手ならば、ボコボコにされよう。見てくれる人がきっといるから。いなくても、一番見てくれている自分自身に嘘をつかないように。大人になって堪えよう。

そう思うしか道はないのだと思う。

 

多分見てないと思うけど、理不尽な理由でいじめられている子、いじめとまではいかないのかもしれないけど攻撃されている子。

それが耐えられない子、息苦しい子。

負けないでね。気にすることで自分の心を傷つけちゃうから。

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久しぶりに語ってみたが、こんなことを考えながら聞く、最近のお気に入り曲がある。

それは今回のブログ名でもある「呼吸すること」だ。ARKSという女性ボーカルのバンドが歌っている。

 

もうここまできてしまったな

後ろをみてもなにもないさ
諦めてしまおうかな
もうどうしようもないさ
こんなつもりじゃなかったんです
でもどういうつもりでもなかったんです
 
今まで通りに歩いて来て
右を見て左を見て歩幅を
確かめる 確かめる
まだ何か出来そうな夜でした
(割愛)
今まで通りに歩いて来て
右を見て左を見てまた歩こう
じぶんの足でじぶんの歩幅で
まだ何かできそうな夜でした

 

 

自分が間違っていないと思うのならば、努力してももう頑張れないと思うのならば、あとはもういいんじゃないかな。

自分がやりたいように頑張ればいいのだと、文句を言われないように頑張るしかないのだと、勝手に励まされながら生きていくのである。

 

 

 

言葉と人生と。


「この世界で最も重大な罪は、言葉で人を傷つけることだ。」


【言葉】を声として発することも、文字として書き起こすことも、基本的には簡単なことである。

【言葉】はなんでもできる。喜ばせることも、怒らせることも、悲しませることも、楽しませることも。歓喜に満ちた気分にすることも、悲哀の底に陥れることも。家族、友達、恋人だけでなく、顔も知らないような他人だって。そしてもちろん自分も。

【言葉】は、簡単に、なんでも、できるのである。


この間、大学の先輩同期で、「心が叫びたがってるんだ。」を見に行った。

冒頭の文は、序盤にあるキャラクターが主人公に発した台詞である。この言葉が1番印象に残っている人はごまんといるだろう。実際に、私もその1人だ。笑

正直、アニメ映画なんてジブリ以外は見ないし、なんなら「あの花。」すら見てないのにいいの?といった気持ちだったが、先輩に連れられて来てしまった。ノリで。

ちなみに全体のあらすじとかは言わないよ、そういうの上手くないからね。

白状すると、日々の疲れと全然眠れてないのとで、途中うとうとしてしまったが、最後はしっかりと泣いてしまった。一緒に行った先輩や同期は、青春という言葉をやたらと使っていたが、たしかにキラキラしていた。学生の日常生活に友情も恋愛もすべて混ざっている、まさに正統派な青春物語だった。


ただ、私が泣いてしまった理由は、ものすごく序盤にある。

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主人公は、山の上にあるお城に夢を抱いていた。お城って言っても、ただのそういうホテルなんだけどね。山の上だし。

学校帰りに寄り道してお城の前に来てみては、何があるんだろうなー、入ってみたいなーとか思っていたんだろうな。

そんな時、車が出てくるんです、運転手はお父さん。助手席は知らない人。

びっくりした、普通に。

おお、まじか。いきなりそうきたか、みたいな。昼間に何してんだよ、お父さん。

主人公は幼いし、特になにも考えずに、ええ!お父さん王子様だー!お姫様はお母さんじゃなかったけど!と、お姫様がお母さんじゃないことがなにを意味するのか、分かるはずもなく、お母さんに話しちゃうのである、無邪気に。無邪気って時として怖いよね。


それがきっかけで2人は離婚することになって、お父さんは家を追い出されることになる。詰め寄る主人公。

「私がお母さんになんとか言うから、また戻ってきてほしい」とかたしかそんな感じのこと。お父さんお母さんが別々になるなんて寂しいに決まってるよね。

そこで中年で別にかっこよくもないクズ王子様、かわいいかわいい娘に放った言葉とは。


『お前のおしゃべりのせいでこうなったんだろ。』


.....はい?

なに言ってんのこの肥満体型ロクデナシ王子様。


この言葉に深く傷ついた主人公はそれ以来、言葉を発することを辞めてしまう。それ以降の話が本編なんだろうけど、私はその話だけで充分見てて苦しかった。


『お前のせいで』って、じゃあ娘のどこを見て言ったんだよ。

そもそも、父親の不貞行為が原因じゃないの?娘がおしゃべりじゃなかったら離婚もせずに幸せそうな繕われた家族を維持できるとでも思ったか?女の勘をなめんな。言わなかっただけで実際浮気の一つや二つすぐ気付くんだよ。浮気した時点で終わってんだよ。

夫婦間で何があったか知らないけど、お母さんは浮気されて辛いと思うけど、お父さんも何か辛いこととかあって浮気に逃げたのかもしれないけど、でも。

でも、それ以上に辛いのは、両親の勝手な都合に振り回されて、両親の自分だけが助かりたい一心でついたわがままな言葉によって心に傷をつけられた子供なんだってこと。


言葉は簡単に人生を変えることができる。

良くも悪くも。

言霊は存在するし、だからこそマイナスな言葉は簡単に放つものじゃない。そして、簡単に放つことのない人が放ったマイナスな言葉がどれだけ意味を持つものであるのか、も。


そういったことが頭から離れなくてだらだらと考えていたら、なんだか泣けた。


家族をつくるって、当たり前だけど、自分だけの話じゃない。自分と彼の話だけでもないんだと思う。


そういう話になると、涙腺弱い上に必要以上にアツくなります。

そんな人間です、はい。

人生難しいねーーー。終わり。


ちなみにバケモノの子の方が泣けた。4回くらい泣けた。