一緒に悟ろっか。

ふわふわ生きていきたい

貞操観念高い女の子が浮気を許容せざるを得ない時、そして、浮気された時。〜後編〜

「この放置のされ方は、私への愛が冷めたからではない。他に愛を注ぐ相手ができたからだ。」

 

私は昔から第六感が優れている。人間関係のずれには敏感だ、特に恋愛関係。

その場にいなくても、SNSのちょっとした一言、たまたま上がっている集合写真等でもすぐに分かる。かつて、高校時代に付き合ってた彼が、大学入学前の別れ際にこっそり作っていた大学のアカウントをものの30分で仕留めたエピソードは、口が固い少数精鋭の友達にだけ話している。あれ?と思ったきっかけは何でもない一言とかだったように思う。探偵グループに入っていたら確実にSNS系の役回りは私にお任せだ。

 

そんなわけで、ついに彼の態度から浮気(の証拠というよりかは、別に他の相手がいるなという揺らぎ)センサーが反応した。こういう時は、大体合ってる。見ないふりしても意味がない。

「それって疑いすぎじゃない?」と思う人もいるかもしれないが、本当に、意味がない。「勘違い」は意味がない選択肢だ。私のセンサー、生きていて外れたことがないんだから。

ちなみに私の中の浮気の定義は、「手を繋いだら」ではあるが、それ以前に「他に愛を注ぐ相手ができる」ことの方が重罪だと思っている。

 
「浮気されてもいいや、どうせ好きだから。」

そう思っているから、さほど心も揺らがない。あぁー、ついにこの時が来たかー、って、静かに涙を流す、だけ。

 

そんな日々が1ヶ月半ほど続いていたわけだが、笑っちゃうくらいに「傷つけるためだけの行為」を立て続けにされたことで、ついに、私のズタボロな心はNEXT STAGEへと進出した。

 

「ってか、もう誠実でいる必要、なくない?」

私が浮気を許せない理由の一つ、私の誠実には最低限の君の誠実で返して欲しいから。

これって、浮気されたら意味なくない?

 

お金を払っていない客に、店員がモノを売る義務は無い。

浮気をした彼に、私が誠実に生き続ける義理はない。

「惚れたもん負け」という言葉があるように、適当な扱いをされても、連絡がこなくても、八つ当たりをされても、私は心から彼が好きだった。好きだったから、彼の連絡を待った、お土産も届けた、料理も作って届けた。

 

でも、ある時、ふと思った。

もう、いいんじゃない?私、もう十分頑張ったんじゃないの。これ以上頑張っても、こんなに頑張ったんだから、もう届かないよ。

世間一般的に頑張っているのかどうかは問題ではなくて、自分自身の中で「これ以上は尽くせない」と思った時点で、私のお役目は私の中で終了したのだ。女の子って、自己満足で他人を愛すからさ、これでいいの。

 

そんなことを思い、姉のように慕っている先輩に気持ちを伝えてみたら、どうやらBINGOだったようで。有難いことに、相談した翌日から、紹介したい人がいる連絡を頻繁に送ってくださる。おまけに、気になっている友達もできた。心から愛しい大事な人。

 

「私、やっぱりまだまだこれからじゃない?」って思い始めて来た次第である。とことん傷ついた後なので、誰も読まないようなこのブログ内では、調子に乗らせてほしい。女の子って、勝手に新たな人生歩み始めるよね。私の中では終わった恋である(別れ話はできていないけど)。

 

「浮気されてもいいや、どうせ好きだから。」

いつかのボロボロな私、そんなこと言うなよ。

そんなことを言わなくていい相手を愛せよ、私。

 

 

 

貞操観念高い女の子が浮気を許容せざるを得ない時、そして、浮気された時。〜前編〜

「浮気されてもいいや、どうせ好きだから。」

 

Twitterの下書きの中で眠っているこの言葉を見つけて、胸が苦しくなった。

いつ書いたのか分からないけど、書いた時の気持ちは確かに憶えている。

 

私は昔から、「浮気されること」が大嫌いだ。

だって、裏切られたくないから。

だって、不潔だから。

だって、最低だから。

「浮気されたら絶対に別れる。」という言葉を胸に数少ないかつての交際相手との恋愛をしてきたわけである(とは言っても、浮気されたことはない)。

裏切られたくない理由は、私の誠実を最低限の君の誠実で返して欲しいから。

不潔だと思う理由は、私は恋人でもないやつと粘膜を交えたくないから。

最低だと思う理由は、私たちが暮らす国日本は「一夫多妻制」を取り入れる国だから。

そして何より、「私だけを想ってくれる人は他にもいる」という自信があるから。

私と付き合ってくれる男性は君だけじゃないよ、と。強気でもなんでもなく、心からそう想っている。私そこまで寂しい女の子じゃないよ。浮気する人に使う時間など無い。

 

現在付き合っている人も、「もし浮気なんぞされたら百年の恋も一時に冷めるし、別れたるわ。」と思っているし、彼にも伝えていた、けど。

 

「浮気されてもいいや、どうせ好きだから。」

って思ってしまうほどに好きだったのだ、現在の彼は。

 

性格もルックスも頭の回転の速さも優れている彼は年上にも年下にも、もちろん同世代にもおモテになられているわけだが、当たり前に女の子が大好きだ。

そりゃあそうだよ、だって毎日たくさんのスイーツが「食べてー♡」って向かってきたら私はきっと食べてしまうでしょ?きっとそれと同じ、仕方のないこと、自然の摂理。

と思いながら、彼のモテ加減は彼が悪いわけではないし、私が自分磨きを頑張っていけばいいのだ、と思っていたけれど。

やはり、私は魅力不足だったのだ。そして彼の周りには魅力が有り余りすぎていた。

 

「太刀打ちできない...。」

毎日不安でどうしようもない。飽き性っぽい彼の自分に対する態度がカッスカスになってくる度に、気持ちは冷めるのではなく、悲しみからくる執着心だけだった。

 

「もっと頑張るから、愛して欲しい。」

「他の人を好きにならないで欲しい。」

そんなことを思いながら涙を堪え、仕事を頑張る、勉強を頑張る、外見の自分磨きを頑張る。

でも、悲しみを原動力とする自分磨きは、いずれ疲れがやってくる。

私は、「愛する人に選ばれた一人」には、もうなれない。

頑張りながらも、そんなことをふと思った。

優しくしてくれなくていいから、一緒にいたい。抱きしめてくれなくていいから、話さなくてもいいから、一緒のベッドで隣で寝たい。

 

「浮気されてもいいや、どうせ好きだから。」

「私だけを想ってくれる人は他にもいる」ことへの自信なんて何の役にも立たなくて、どうせ泣きながらも隣にいるんだ、という諦めから落ちた言葉だった。

 

 

そんなことを思いながら、月日は経ち。

 

浮気をされているのではないかと、私の第六感が疼く。

 

 

 

同じ苦労を経験してやっと初めて相手の気持ちがわかる愚かさよ。

誰もみていないのにふと書きたくなるのは、心のどこかで誰かが見てくれるかもと期待しているからだと思う。

 

8月上旬に、部活のOGとして大会の応援に行ってきた。

マネージャーをやっていたのだが、選手よりマネージャーの方が任期が1年半も短い。つまりは、幹部として部の運営をするのも、引退するのも、マネージャーの方が1年半早いということだ。

そんなわけで、去年は幹部として引退を目前に控えた大会で大号泣。気持ちは団体戦ではあるが、リレー以外は個人種目なわけで、泣いたところで私は何もできないのだけれど、何もできないからこそ大号泣したのかな、と大会に行くたびに思う。

今年は初OGとしての参戦ではあるが、静かに端っこで現役を見守っていればいいものの、またもや大号泣した。今思い出すと本当に恥ずかしい。前に出るなよ、と。

そんな私の心を特に揺るがしたのは「同期選手の成長」である。

 

振り返るは、2年前の秋。

マネージャーは1年生の秋から幹部としてピリピリとした空気感の中で部活を過ごさなければいけなくなる。少なからず私の代は緊迫感が続きに続いていたように思うが、そんな時、同期選手は1年生。本格的に幹部の仕事が始まった時も、彼らは2年生だった。部の役職などはなく、自分の能力を高めるためにひたすら練習をする真面目な学年。

そんな同期たちも、気づけば3年の夏が終わり、来年の夏では幹部として大会を迎える。小並感だが、あっという間すぎる。同期が幹部だなんて。立派すぎる。

まだ始まってはいないが、うちの同期は本当にみんな優秀で、優しくて、申し分ないほどに努力家だ。こんなにも誇りに思う同期がいて嬉しいな、と引退してからなお一層思う。

 

ただ、もう私たちだけの大切な選手たちだけではないのだ、と少し切なくなる。

彼らは、2個下の学年のマネージャーたちと幹部を運営していく。

彼らは、どの学年よりも、もしかしたら、自分たちよりもマネージャーのことを優先し、悩むかもしれない。

彼らは、どの学年よりも、マネージャーとの関係性を大事にしてケアをして部を運営していくだろう。

 

当たり前のことなのに、自分たちもされてきたことなのに、なんだか寂しくなる。

引退したから何も言える立場ではないが、同期選手が年下マネージャーに取られてしまうのではないか、と勝手に寂しくなる。

 

そんな時に、引退した時に、1人の同期選手からマネージャー宛に送られてきたメッセージを思い出す。

 

『頑張ってる同期マネージャーを見て、どっかで同期って感じがしなかった。先輩のものになっちゃったんだよなって感じがしてた。』

『一緒に喜んでくれたり、小さなことでも声かけしてくれたりすることが嬉しくて、やっぱり改めて実感しました。』

『みんなうちらの同期マネだ。うちらのものだよ。最高の同期マネージャーだよ。』

 

2年前の秋から、私たちが幹部になってから1年間。彼らも同じ気持ちを抱かせていたのかもしれないと思うと、自分の周りの見えなさに涙が込み上げる。愛しい同期たちは、寂しさを抱えるほどに応援してくれていたんだ、と。

私たちマネージャーとしては先輩のものになった感覚なんて一切なくて、どんな時も頑張り続ける同期選手が1番の心の支えであるほどだった、少なくとも私は。そんな同期選手ですらある種の寂しさを抱えていたのかと思うと、この上なく愛おしい。

 

『みんな私たちの同期選手だ。私たちのものだよ。最高の同期選手だ。』

今までもこれからも思い続けているのは、こちらこそだ。

引退して何者でもない私たちが、気を張って多くの苦労を背負い込む彼らの背中をみる立場になってやっと初めて、当時の彼らの気持ちがちょっぴり分かるようになるのだ。

なんて遅いんだろう。現役中に気づけていれば、もっと仲良くしたかった。

 

ふと思い返せば、同じ苦労を経験してやっと初めて相手の気持ちがわかることが多々ある。

 

思い返すこと、高校3年生の夏。

冬から頑張るのでは遅すぎるほどに届かない志望校にいくため、夏休み中は彼氏と1日も会えなくていい覚悟の私を見て、当時の彼氏はメンヘラビームが爆発だった。 

 夜中の電話のえげつないこと、えげつないこと。夜中の2時に15件とかだよ、まじやばーい、ってね。

そんな彼も、自分の受験が目前になると、恋人の存在などどうでもいいらしく、1ヶ月連絡取らなくても余裕なメンタルを手に入れていた。半年前にそのメンタルを手に入れて欲しかったよ...。

結局、自分も受験を経験していないと分からないんだ。

 

必死になるしかなくて、自分しか見えていない時、自分はどうなってしまうのか。

その一方で、ある人たちはどんな気持ちでいたのか。

同じ苦労を経験して同じ立場になってからじゃないと分からないんだ。

そしてわかった時、あぁ、このことかって後悔するしかないんだ。

 

この後悔を重ねて大人になって、やっと、やっと。

衝突する前に、すれ違う前に、相手を思いやれるようになるんだ。

 

私から気持ちが離れつつある最愛のあの人は、就活も含め卒業後の進路に悩んでいるらしい。そんな時に何をして欲しかったのか、何をして欲しくなかったのか、年下の私には分からない。私なりの努力も思いやりも、届かなかったら意味がない。

同じ悩みを抱える時が来たら、私はきっと涙を流しながら気付くんだ、「あぁ、こんな気持ちでいたのか」って。

 

受験も仕事も就活も、経験していないと相手を思いやれないのは私が未熟だから。自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうから。

あとどれくらいこうやって後悔を重ねていくのだろう。素敵な大人の先輩方は、いつぐらいから危機回避能力という名の思いやりを得たのだろうか。

 

大好きな同期、幹部頑張ってね。私は包容力のある女性を目指すよ。

 

 

離婚はしないほうがいいなんて、そんなん知ってます。

 

「離婚の何がそんなに悪いんだろう。そもそも、離婚って悪いことなのだろうか?」

 

って、中学生の頃から思っていた。

離婚って、幸せになりたいから、現在の悲劇から逃れたいからすることだと思っていた。『人生のリスタート』のための選択肢の一つ。

 

私のお母さんは離婚暦も再婚暦もある。けど、私は、お母さんのそれらの選択が悪いことだなんて思ってない。

むしろ、よう頑張って生きてくれたんだ、がむしゃらに私を育ててくれているんだ、と思っている。

 

だって、『選択して決断する』ということは、難しくて疲れることだから。

 

「結婚は勢い」という言葉の通り、ウキウキ気分で、この人との未来しかない!と結婚する人もいると思う。現にお母さんもその一人。盲目だったとのことだ。

ある種の自身の感性というか、勘を信じて飛び込み、実際に大当たりだったー!という人もいると思う、超羨ましい。

 

でも、あれ、なんか違う。と思ったとき。

きっと2パターンの選択肢が目の前に現れる。

 

「我慢する」か、「別れるか」

 

我慢することは、自分の感情を押し殺すこと。何を言われても何をされても気にしないようにする、はたまた、存在をないことにすること。

別れることは、別々の人生を歩むということ。パートナーではなくなるということ。

 

 

お父さんと様々なトラブルが起きて、自律神経失調症になり、入院したとき。

お母さんはこう思ったらしい。

「私、このままだと、ダメだ。子供を幸せにすることも、できなくなる。」

 

そして、多くの苦労と時間をかけて、離婚した。

重い足かせをとって、社会の荒波にダイブしたのだ。

 

遠戚の人達はお母さんの現状を知らずに毒を吐く。

 

「結婚生活なんて、我慢がつきものなのに。」

「簡単に離婚なんてしちゃって。」

 

お母さんは「簡単に」離婚をしたのだろうか。

 

『選択して決断する』ということは、難しくて疲れる。

 

たかだか学生ごとき(とは、思ってはないけれど)の恋愛でもそうだ。

 

相手と付き合っていても幸せではないかもしれない。

縛られるし、どちらかというと不幸。別れたい。

 

でも、別れ話をするほどの精神力もない、それはそれで疲れる。

 

そんな感情を抱く人は少なくないと思う、私も含めて。

 

だらだらと不幸せを続けるか、辛い時間を超えて別れるか。

振ったのにもかかわらず、別れてからもなんだか辛い。振られた方はもっと辛い。

 

別れるには、多大な労力を使う。振る方も振られる方も、精神が疲れる。

離婚ならより一層。子供がいるならより一層。

 

お母さんは「簡単に」離婚したわけじゃない。

このままの生活を続けたときの自分の人生、子供の人生。

別れを選択した後の自分の人生、子供の人生。

きっと、何回も何回もイメージして悩んだのだと思う。

 

我慢する人も、大変。

自分の感情を押し殺していくうちに、押し殺すはずの感情もなくなる。無になっていく。自分が立っている場所もわからなくなる。

 

どっちも辛くて、どっちも大変。

だからこそ、どちらも対立することではないんだ。

 

結婚は幸せになりたくてするものだったり、ある人の願望を叶えるためにするものだったり、せざるおえなかったり、様々なものだけど。

離婚も同じことだと思う。

パートナーと別れたほうが幸せになれる場合だったり。もちろん、一方的に別れを告げられることもあると思う、悲しいことに。

でも、それらは全部人生の立て直しのようなものなのではないかと思う。

 

 

だからこそ、「離婚は悪いことではない」と思う。

 

けど。もし私ではない子供の話だったら。

両親仲が悪いのって、辛い。

親も親で親自身の人生があるんだって話、きっと難しい。

離婚後も両親は自分に対して優しい場合、なんで一緒には住めないのって疑問になる。

 

でもきっとそのうち気づく(こともある)。

別れる瞬間の親にとっては、「別れる」という選択が必要だったということに。

 

離婚はしないほうがいいなんてそんなの知ってる。

でも、しないと幸せになれないと思うときだってある。

 

「別れる」ことは必ずしも悪ではないんだって、私は思い続けている。

 

ふと思う話。

 

更新するのが久しぶりどころじゃなくて笑っている。

私が仮にモノ書きだったとしたら不誠実という名の指標を完全に振り切っているレベルだ。「モノ書いてないじゃん」つって。

忙しさにかまけて書き起こすことをめんどくさかったんだけど。

別に誰も見てないけどでも適当な文は出したくないな、とかいう変なプライド。

頭の中でわーわー喋り倒して終わる毎日。言語化して整理整頓は後回し。

捨てちゃえ、そんなの。

 

と思って今本当心の底から徒然なるままに書いてる。

現在の私のタイピングは留まることを知らないよ。

 

それはさておき、これからちゃんとしたものを「書き続ける努力」をすることを、自分に課していこうと思っている。将来のために。

さすがにね。まだ若いとかいってられないから。社会の波に置いてかれてしまいそう。就活とかそんなありきたりのものじゃない、きっと私しか感じない焦りの波。

 

「焦らないようにすること」と、「自分の非力から逃げること」は全くもって違うので、がむしゃらに頑張って行きます。

 

誰も見てないからこそ、現在の私の私による将来の私のための宣言。

 

お母さんは、お父さんと離婚する時、幼かった私を見て、何か決意したのかな。

どんな覚悟を決めたんだろう。

 

無駄にできない人生だな。

 

 

 

『絶対』って。

 

言うまでもなく、今からこれまでにないレベルでなかなか自己満足な話をする。

 

『絶対に俺はこの試合に勝つんだ』

『頑張れば絶対に叶うよ』

『これからも一緒だよ、絶対ね』

 

『絶対』という言葉の意味を、一体全体どのくらいの人が本気で信じているのかは分からないけど、私はあまり好きな言葉ではない。

 

勉強や部活や仕事とか、何か目標に向かって頑張る時に使う『絶対』は、言霊という意を含んでいると思っている。上記の1、2番目の文がその例だ。頑張らなければいけない場面で、叶えたい、頑張るという意思を言語化することで、そして、言霊を信じることで、目標を達成させる。いわば、言語化することに意味がある『絶対』だ。

そういった場合に用いられる『絶対』は私も使う時はあるし、言霊というのは今も昔も実際にあるのだ、と私自身、信じている。

 

ただ、私がどうしても耐え難く許せない『絶対』は3番目の文だ。

これは、家族愛の話でも、動物の話でもなく、紛れもない恋愛話における『絶対』である。

よく、「絶対別れない♡」「絶対結婚する♡」等の言葉をわりかし簡単に外部へ吐き出すhappy peopleがどの年代にもいるような気がするが、その言葉を聞く度に、私はその真意が気になるのである。

恋人と付き合って1ヶ月~半年ぐらいの幸せ絶頂期な時に、すぐそういった発言をする人達の中には、本当に結婚して幸せな家庭を築く人達や、本当にずっと一緒に人生を歩む人達もいるであろう。

しかし、私の周りは大体別れている。しかも結構な短い期間で、だ。

 

そんな時、私の頭には、「彼らは本当に、絶対、という言葉を信じていたのか。」といった疑問が湧いてくる。

 

本当に絶対結婚しよう、という気持ちで日々生活していたのかなぁ、とか。どうしても考えてしまう。

 

お察しの通り、私は恋愛における『絶対』なんて、存在しないに等しいという考えを持っている。

ちなみに、過去にすごく残酷なフラれ方をして、とか、そういうトラウマは持ち合わせてはいない。でも、ただ単純に、絶対なんてなくないか、と思う。

だって、人の心なんてなかなか保証できるものじゃないもん。

いつ自分に、そして相手に、他の運命の人が出てくるか分からない。運命の人なんて、自分が運命の人だと思えば、その人が運命の人なんだと思う。でも、それは死ぬまで分からないことなんじゃないかな。仮に結婚した後に、出てきちゃうことだってあるのかもしれないし。目の前で自分しか見ていない彼が、いつ浮気するかだって、誰も分からない未知なものだし、もしかしたらもう、しているのかもしれないし。

未来のことなんて当たり前に誰も知らないし、心なんて移りゆくものなんだと思っていた方がごく自然で楽な考えだと思う。

だからこそ、恋愛において『絶対』とか『ずっと』を軽々しく使う人は苦手である。軽々しく使った訳ではないのかもしれないが、どうしても近寄り難く思える。

これって、こじらせているのだろうか。

ちなみに体験談として、私にはつきあっていた当時に『絶対』を多用する元カレくんがいたが、「絶対俺から離れることはない」だの言われる度にすごく複雑な気持ちになったのを覚えている。絶対とかわざわざつけなくていいのに、そういうことは言葉でいちいち言わなくていいから何事もなく隣にいてくれたらそれでいいんだけどなぁ、とか思っていたものである。別れを切り出したのが私だったため、たしかに言われてみれば絶対だったのかなとは思うが、そもそもそんなことを言う人は苦手である。

 

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きっと、私は、言葉の一つ一つに意味の重みを置きすぎているのだと思う。

というかそういう言葉を信じていたいのであろう。

当の本人達は、フィーリングで使っているのだろう、自分たちの言葉にあまり意味を持たせることなく。そういった価値観の違いで、恋愛は時に事件を呼ぶのかなぁ、としみじみ思うのである。

 

言葉の一つ一つを大事にする人になりたいなぁ。

 

読書の秋は「甘え」

 

ありきたりなことを言うが、本屋さんの雰囲気って暖かい。
何をいまさらって感じだけど、本屋さんは誰に対しても優しい。
 
知的な美男美女にしか似合いませんよこの本は!みたいはオーラを出すこともないし、漫画ばっか読んでないで新書読みなさいよ新書!!とか説教くさいこともしないし、子供向けだけど大人もこの絵本読んでみなよ~!って教えてくれるコーナーもあるし。こういうことを言うと、どうしたの?人間界にお友達いないの?とか思われるかもしれないが、決してそういうことではない。とにかく、誰でも自分が好きな本を自分が好きなだけ探すことが出来るところが本当に好きだ。
だからまあ、もちろん図書館も大好きなんだけどね。高校受験の時は、図書館の妖精になるぞ!と馬鹿なことを割と本気で考えては地元の図書館に通いつめてました、はい。家では夜中以外は勉強できない系女子である。
図書館と本屋さんの何が違うかは語彙力不足の私が説明するのは難しいが、そんな私が例えるのならば、本屋さんは都内のクオリティが高いコスプレショップ、図書館はエンターテインメント性が高いゲームセンターのプリクラコーナーのようなものだ。
コスプレショップだと値段もかかるし、なかなか手を出しづらい。でもクオリティはめちゃめちゃ高く可愛い、買ったらもうそのコスチュームは私のもの。いつでもどこでも何回でも着ることができる。一方で、エンターテインメント性が高いゲームセンターのプリクラコーナーには、コスプレコーナーが設置されていて、いろんな種類のコスチュームが並べられている。ナース、メイド服、ポリス、セーラー服は当たり前、中には悪魔や天使やアニメもの、セーラームーンっぽいのも揃っている。よりどりみどりな宝箱だ。多少の汚れはあるが1着100円で借りれるためとても安い金額で何着も着ることが出来るのだ。ただ、プリクラをとることしか出来ないが。
ちなみに私は高校生の時に1通りのコスプリは経験している。サンタさんのコスチュームも持っている。そして、チョッパーの着ぐるみでボーリングをしたこともある。
以上を本屋さん、図書館に当てはめてみるとどうだろう、とても似ているではないか。
本屋さんは自分の子供を探しに行くようなものだ、何回も読みたいと思える1冊に出会うためにたくさん吟味する。いつどこで読んでもよい。そして、図書館は期限は限られてはいるが、幅広い分野の本が読み放題。間を取ったのがブックオフだ。最高。
どちらも最高であることには変わりない。しかし、図書館は飲食が禁止されている場所がほとんどである。よって、油断して長居すると静寂な中で私のお腹がソロライブを開催してしまうことが多々あるのが唯一の懸念点である。ガムとかで静かに乗り越えようとするんだけどね。
 
とにかく、博学になりたい系女子である。
まさに読書の秋であるが、ただ秋になってアホみたいに本を読むのではなくて常に本を読んでいるような人間になりたい。そう、読書の秋は私にとって「甘え」である。読みたい本はたくさんあるが、時間を言い訳にしてる場合ではない。うかうかしているとすぐ教養もなく発想力にも欠けた面白みのない人間になってしまう(追い込み)
 
よーし、もっと本読むぞー。
ちなみに絵本も好きである。かわいいよね。
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