離婚はしないほうがいいなんて、そんなん知ってます。
「離婚の何がそんなに悪いんだろう。そもそも、離婚って悪いことなのだろうか?」
って、中学生の頃から思っていた。
離婚って、幸せになりたいから、現在の悲劇から逃れたいからすることだと思っていた。『人生のリスタート』のための選択肢の一つ。
私のお母さんは離婚暦も再婚暦もある。けど、私は、お母さんのそれらの選択が悪いことだなんて思ってない。
むしろ、よう頑張って生きてくれたんだ、がむしゃらに私を育ててくれているんだ、と思っている。
だって、『選択して決断する』ということは、難しくて疲れることだから。
「結婚は勢い」という言葉の通り、ウキウキ気分で、この人との未来しかない!と結婚する人もいると思う。現にお母さんもその一人。盲目だったとのことだ。
ある種の自身の感性というか、勘を信じて飛び込み、実際に大当たりだったー!という人もいると思う、超羨ましい。
でも、あれ、なんか違う。と思ったとき。
きっと2パターンの選択肢が目の前に現れる。
「我慢する」か、「別れるか」
我慢することは、自分の感情を押し殺すこと。何を言われても何をされても気にしないようにする、はたまた、存在をないことにすること。
別れることは、別々の人生を歩むということ。パートナーではなくなるということ。
お父さんと様々なトラブルが起きて、自律神経失調症になり、入院したとき。
お母さんはこう思ったらしい。
「私、このままだと、ダメだ。子供を幸せにすることも、できなくなる。」
そして、多くの苦労と時間をかけて、離婚した。
重い足かせをとって、社会の荒波にダイブしたのだ。
遠戚の人達はお母さんの現状を知らずに毒を吐く。
「結婚生活なんて、我慢がつきものなのに。」
「簡単に離婚なんてしちゃって。」
お母さんは「簡単に」離婚をしたのだろうか。
『選択して決断する』ということは、難しくて疲れる。
たかだか学生ごとき(とは、思ってはないけれど)の恋愛でもそうだ。
相手と付き合っていても幸せではないかもしれない。
縛られるし、どちらかというと不幸。別れたい。
でも、別れ話をするほどの精神力もない、それはそれで疲れる。
そんな感情を抱く人は少なくないと思う、私も含めて。
だらだらと不幸せを続けるか、辛い時間を超えて別れるか。
振ったのにもかかわらず、別れてからもなんだか辛い。振られた方はもっと辛い。
別れるには、多大な労力を使う。振る方も振られる方も、精神が疲れる。
離婚ならより一層。子供がいるならより一層。
お母さんは「簡単に」離婚したわけじゃない。
このままの生活を続けたときの自分の人生、子供の人生。
別れを選択した後の自分の人生、子供の人生。
きっと、何回も何回もイメージして悩んだのだと思う。
我慢する人も、大変。
自分の感情を押し殺していくうちに、押し殺すはずの感情もなくなる。無になっていく。自分が立っている場所もわからなくなる。
どっちも辛くて、どっちも大変。
だからこそ、どちらも対立することではないんだ。
結婚は幸せになりたくてするものだったり、ある人の願望を叶えるためにするものだったり、せざるおえなかったり、様々なものだけど。
離婚も同じことだと思う。
パートナーと別れたほうが幸せになれる場合だったり。もちろん、一方的に別れを告げられることもあると思う、悲しいことに。
でも、それらは全部人生の立て直しのようなものなのではないかと思う。
だからこそ、「離婚は悪いことではない」と思う。
けど。もし私ではない子供の話だったら。
両親仲が悪いのって、辛い。
親も親で親自身の人生があるんだって話、きっと難しい。
離婚後も両親は自分に対して優しい場合、なんで一緒には住めないのって疑問になる。
でもきっとそのうち気づく(こともある)。
別れる瞬間の親にとっては、「別れる」という選択が必要だったということに。
離婚はしないほうがいいなんてそんなの知ってる。
でも、しないと幸せになれないと思うときだってある。
「別れる」ことは必ずしも悪ではないんだって、私は思い続けている。